何か越しに被写体を撮ると、なんとなく意味有り気に写る。何か越しとは、手前ボケにすること。広角や標準レンズでも、手前ボケの写真は望遠っぽいニュアンスが出て、何か物語っている様に見えたりする。何か越しの写真は、前記事に書いた覗き見写真のような、後ろめたさはない。

ミュージックビデオでも、よく使う構図だ。手前の人物をぼかし、奥の人物にピントを合わせて撮る。映画では台詞のやり取りで、肩越しに相手の顔をアップで撮ったりする。また、狭い室内での撮影では、その場の状況説明を一緒に見せることが出来、映画的な写りになる。海外のテレビドラマでよく見かける。

ada.jpgEOS M5 + New FD 50mm 1.2L(モデル:足立 知謙 さん/作曲家)

数年前、すでにシーズン8まで終わった「24 -TWENTY FOUR」にハマった。ヤフオクで全巻揃え借りるより安いiPhoneの着信音をCTUの内線電話にするほど好きだった。今でも電車の中で電話が鳴ると、必ず誰か反応する。この24、シーズン3以降はフィルム撮影と思うほど、質感がいい。カメラワークも映画的だ。そして、そのカメラワークが、やたら「何か越し」なのだ。CTU内のシーンではパーテーションとか、柱とか、パソコンのモニターとか、座っている誰かの頭とか、スキンヘッドの頭越しもあったやり過ぎ?。とにかく「何か越し」なのだ。映画的に見える要素だが、今見るとそのやり過ぎ感が、かえってテレビっぽく感じる。

とはいえ、テレビドラマで、ここまで映画的な映像は立派。映画ほど予算がある訳では無いのに、カメラワークや構図の決め方で、それに近づいている。参考にしている制作者も多いと思う。そして、今でも何か越しに写真を撮るとき、必ずCTUを思い出す。プ・プッ・ピプー。

rose.jpgEOS M5 + New FD 50mm 1.2L

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