「トンビに油揚げをさらわれる」という、ことわざがある。京都での仕事帰り、コンビニで買った肉まんを歩きながら食べようとした瞬間、トンビに肉まんを奪われた。驚きと共に、もしこの瞬間を撮影していたら?と、カメラアングルとカット割りが頭に浮かんだ。カメラは俯瞰で、襲いかかるトンビと肉まんを手にした私を、頭上から狙う。嘴(くちばし)で肉まんを奪う瞬間をマクロでクローズアップ。同じく、マクロでトンビの力強い翼(付け根あたり)を見せ、驚く私を下からあおる。そのままのアングルでカメラを引き、頭越しに飛び立つトンビをカメラが追う。コンビニの袋を手首にかけ、呆然とする私を遠景で見せる。かなり綿密な撮影と超高速カット割りを想像していた。映画的だ。これを向かい側から広角レンズで撮っただけなら、ただのハプニング映像になる。

こうして、自分に起きた悲劇を、映画のワンシーンに置き換えることで、肉まんを奪われた憎しみと、恐怖心を癒すことに成功した。何かの映画で、あまりにも恐ろしい出来事にあった人が、ファンタジーの世界に閉じこもる。これに似た状況を経験したことになる。

maru-1.jpg午後4時頃、事件が起きた京都丸山公園。EOS M5 + New FD 50mm 1.2L

この瞬間を写真に撮れたら、それこそ決定的瞬間。AFを含め、カメラの性能にかかってくる。マニュアルフォーカスしか持っていない私は、鼻から撮ろうとしないが。決定的瞬間は、滅多にないと思う。AFがいくら優れていても、その時カメラがなかったら意味がない。スポーツカメラマンや、報道カメラマンなら分かるが、スナップ撮影がメインの人に、高速AFが必要なのか?。速いに越したことはないが、それを最優先に考えるのは、どうかと思う。

私個人の意見だが、カメラ選びはレンズからと思っている。レンズは、そうそうモデルチェンジはしない。明るさと焦点距離、あとはルックスでレンズを決める。それから、そのレンズを付けた姿を想像したり、試着してカメラを選ぶ。カメラの足りない部分は、使い方で補う。約5年前、5DⅢに憧れて買ったが、ライカSmmicron R 50mmを使うようになって、バランスが悪くなっていた(見た目と持った感触)。その後、6Dが発売され、試着するとバッチリ。今では6Dがメインになっている。機能的には必要最小限。足りない部分は、工夫する。美しい写真が撮れるだけで十分。それでいいのでは?

img_8373-sEOS M5 + New FD 50mm 1.2L

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